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お部屋に絵を飾りましょう
by 棚倉樽
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福島に生まれ青森に育つ。18歳で画家を志し上京。紆余曲折の末、50歳にして画業に専念。油彩&水彩の風景画・人物画に日々取り組んでいます 。
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青木繁展-1・「海の幸」編

待ちに待ったブリヂストン美術館での「青木繁展」を観た。
36年振り、総展示数240点の大回顧展である。
絵を描き始めた中学生の頃の私にとって、青木繁は憧れの画家であった。言うまでもなく『海の幸』に衝撃を受けたのが発端である。それまで教師を含む様々な人たちの、「良い絵は塗り残しがあってはいけない」とか、「油絵は厚塗りにするほど良くなる」とのアドバイスを真に受けていた私にとって、『海の幸』はそうした常識を覆す作品であった。画集で見ただけでも『海の幸』は塗り残しはあるし、ゴッホの絵のような絵具の盛り上がりもない。にもかかわらず、「この作品によって日本の油絵の歴史が始まった」とものの本には書いてあるし、国の重要文化財にもなっている訳だ。
そのような我が国独特のアカデミックな美術観と相反する画風に激しく戸惑う私であったが、それを何の意味も無くす程の自由奔放な技法と匂い立つような青木の情熱に胸躍らせたのであった。

『海の幸』 明治37年(1904) 油彩 67.0×178.7cm
青木繁展-1・「海の幸」編_a0146758_209621.jpg

久留米の石橋美術館に収蔵されているこの絵を観るのは今回が初めてであった。念願叶った訳である。
明治37年夏、青木、坂本繁二郎、森田恒友、福田たねの四人は房総半島南端の布良へスケッチ旅行し、この時に『海の幸』が描かれた。この布良へ私は一昨年の11月にサイクリングで訪れている。海の幸記念碑と布良の海を見た時の感動、そして青木たちへの思いは『青木繁「海の幸」記念碑』と題したブログ記事にしてあるのでご一読願いたい。

さて実際に観た『海の幸』は、前のブログに書いた通り青木の野望とその後の失望が宿っていた。私は絵の前で、黒田清輝が主催する白馬会第九回展に出品された時の『海の幸』を懸命に想像した。詩人の蒲原有明は『海の幸』の強烈な印象を次の文で残している。

「…金の光の匂ひと紺青の湖の匂ひが、高い調子で悠久な争闘と諧和を保つて、自然の壮麗を具現している。そしてあの赤褐色な逞しい人間の素肌のにほひが、自然に対する苦闘と凱旋の悦楽とを暗示して居る。一度くらんだ僕の眼が、漁師の銛で重く荷はれている大鮫の油ぎつた鰓から胸や腹にかけて反射する蒼白い凄惨な光をおずおずぬすみ見て居るひまに、僕の体はいつしかその『自然』の眷属の行列の中にずんずん吸ひ込まれて了つていたのである…」

この印象は、現在の『海の幸』には薄い。まず、背景に使われた金色の絵具は退色し残っていない。それ故に、全体的に沈んだ画面になっている。金色だけでなく例えば鮫の「鰓から胸や腹にかけて反射する蒼白い凄惨な光」も色褪せてしまっているのではないか。また、青木は展覧会出品後にかなりの加筆をしている。特に画面中央のこちらを向いている福田たねの白い顔は、他の漁師たちの誇らしげな表情とは明らかに違和感があり謎めいた印象を残してしまっている。つまり、「自然に対する苦闘と凱旋の悦楽」を濁しているのである。

蒲原有明が賞讃した時の『海の幸』と現在の『海の幸』は違う作品と言っても過言ではないのであるが、それは現在のものを駄目だと私は言いたいのではない。最初に私が『海の幸』から受けた感動は、やはり夕陽を浴びた漁師たちの誇らしげな姿と海から与えられる幸の尊さだったのである。
だが、かつての『海の幸』はもっと別の次元、おそらくは青木が探求していた神話の世界に近いものであったろうと思うのである。背景に金色を施したのは、漁師たちを神々しく表現する意図があったのだろう。
かつての『海の幸』は明治浪漫主義そのもので、現在の『海の幸』は自然主義的な魅力を我々に放っているのかも知れない。

白馬会展の話題をかっさらい、国木田独歩が500円(現在の貨幣価値で150万円程か)で『海の幸』を買い取りたいと言っているとの噂を聞いた青木は有頂天であったろう。が、国木田どころか誰からも買い取りの申し出はなく、生活は困窮の極致へ。『海の幸』の連作に意欲を燃やしていたのであるが、いっこうに創作意欲が湧かず『海の幸』に加筆する毎日。さらに、福田たねが妊娠。元々青木は結婚の意思もなかったため精神的に追い込まれる…。

私の目の前にあった『海の幸』は次第に金色に輝き出し、海の青さと褐色の漁師たち、油ぎった鮫の白い腹が迫ってきた。青木の野望とロマンを垣間見て感動に震える思いであった。
そして、他の来場者が絵と私の間を通り過ぎた瞬間、目の前から消えていた福田たねの白い顔が絵に張り付き現実に戻された。やはりそこには青木の汗と涙にくすんだ焦茶色の『海の幸』があった…。

小林秀雄が戦後間もなく催された西洋画展で、ゴッホの絶筆といわれていた『烏のいる麦畑』の複製画に魅せられ購入したそうである。書斎に飾り毎日眺めていたが、ある日とうとうアムステルダムのゴッホ美術館で現物と対面する。言葉にならない感動を期待していた小林は思いがけない気分に襲われこう言っている。「複製画の方が絵としては優れていた。本物の絵はあまりにも生々しく、それはもはや絵ではなかった」。おそらく、迫り来る生身のゴッホに美術作品を超越した血肉のようなものを感じたのであろう。
同じように『海の幸』は私にとってあまりにも生々しかったのであります・・・。

他の青木繁作品の感想は次回に。。。。

『女の顔』 明治37年(1904) 油彩 45.5×33.4cm ※モデルは福田たね
青木繁展-1・「海の幸」編_a0146758_2012318.jpg

by Patch_It_Up | 2011-08-28 02:37 | 青木繁 考 | Comments(2)
Commented by desire_san at 2011-08-29 00:04
こんばんは。私のブログにコメントいただき、ありがとうございます。

さっそく訪問させていただきました。

青木繁の「海の幸」の背景に金色の絵具が使われていたというお話は初めて入りました。背景が金色に輝いていたら、書かれておられるように、まったく別の感動が得られるでしょうね。

Commented by Patch_It_Up at 2011-08-29 23:50
>desireさん、コメントありがとうございます。
この度の青木繁展は「海の幸」をはじめ、発見が沢山ありました。
改めて、絵画は実物を見なければ真の姿は分からないものであると
感じました。
また、洋画創成期と言える明治後期の日本美術を再考するよい
機会でもありました。
会期中、もう一度足を運ぶつもりです。
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