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お部屋に絵を飾りましょう
by 棚倉樽
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福島に生まれ青森に育つ。18歳で画家を志し上京。紆余曲折の末、50歳にして画業に専念。油彩&水彩の風景画・人物画に日々取り組んでいます 。
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作品『Séraphine』(映画「セラフィーヌの庭」より)

『Séraphine』水彩・A4(20×27cm)※画像をクリックすると拡大します
作品『Séraphine』(映画「セラフィーヌの庭」より)_a0146758_18252465.jpg

『セラフィーヌの庭』という映画を観ました。絵は劇中のワンシーンです。
無名の女性が画家として見出される、といった予備知識しかなく観たのですが、実に考えさせられる映画でした。そして画家である私にとって、画家を描いた映画の中ではベストワンの作品でした。美術系映画にありがちな前衛的な描写もなく、勘ぐりがちな恋愛性もなく、誰が見ても美しくない女性をあるがままに醜く映し出し、ただ坦々とひとりの女流画家の半生を冷酷なまでに描いた名作です。そしてなによりも、「絵を描く」とは何なのかをあらためて知らしめてくれる原点的な映画でした。絵を描いている人、絵が好きな人の全てに観て貰いたい映画であります。

恥ずかしながら、セラフィーヌ・ルイという画家を知りませんでした。ネットで検索した限りの略歴は以下のようなものでした・・・
1864年フランスのアルシーに生まれ、13歳でパリへ奉公に出され、48歳の時にドイツ人画商ヴィルヘルム・ウーデに見出されるまで修道院やブルジョア邸の家政婦として過ごしました。そして65歳頃までウーデの援助によって画家として活躍するのですが、世界恐慌の影響でウーデの財政状況が悪化し、セラフィーヌは希望通りの創作活動が出来ないことに悲観し精神のバランスを崩します。そしてついに68歳の時に常軌を逸した事件を起こし精神病院に収容されるのです。
病院では一度も絵筆をとることなく、78歳で死去しました。ウーデは、かつてセラフィーヌと約束していた個展を彼女の死後3年目の1945年にパリで開催したのでありました・・・。

映画では、彼女を形成する三つの要素が特出されています。
ひとつは、極貧の独身女性であったこと。また、知的水準が低かったこと。そして、信仰心が深かったことです。
これらが絵を描くことに重要な影響を与えていました。特に信仰心においては、「守護天使から絵を描くように啓示を受けた」と自身が語っている通り、彼女にとっては生活・人生の全てだったのであります。
知的水準は、自然の恵みや美しさを純粋に捉えることに役立っていました。川で洗濯をしていた彼女が尿意をもよおし、人目をはばからず立ち小便をしながら木漏れ日にウットリする場面などに彼女の人とは違った感性が象徴されていました。ん〜、私もそういう感覚は備えているのですが(笑)。
貧困は、思い掛けず作品に独創性を生み出しました。絵具の買えない彼女は、泥や草花、仕事先の邸宅で料理されていたレバーの血、さらには教会のキャンドルの油を失敬して絵具を作っていたのです!。そして、必然的に絵を描く時間は夜間になるため、ろうそくの灯の下で板切れ(これも拾ってきたものでしょう)に指で描くのでした。画材の一切を買うことの出来ない彼女はこうして自分だけにしか描けない絵を生み出していたのです!。後に画商のウーデが、「君の絵は色が凄い。特にこの力強い赤が素晴らしい」と驚嘆するのでした。

さて、私はセラフィーヌのことは知りませんでしたが、映画が進行するに従って、画商ウーデを知っていたことに気付きました。「アンリ・ルソーを最初に見出したドイツ人画商」というのをルソーの画集で読んだことがあったのです。あらためてウーデを調べてみると、若きピカソやブラックの理解者であり、ドローネーの妻の元夫であり、ルソーやセラフィーヌの他にも素朴派と呼ばれた画家たちの創作活動を援助していたそうです。まさに、20世紀前半の美術界に大いなる足跡を残した偉人なのであります。
WOWOWでこの映画を解説していたイラストレーターの安西水丸氏は、「今の画商は金儲けしか考えていないけれど、昔の画商は素晴らしい芸術家を発掘することに命をかけていた」と語っていました。ウーデへの最高の賛美であると思います。
私が持っている古いピカソの画集に『ヴィルヘルム・ウーデの肖像』という作品を再発見しました。

『ヴィルヘルム・ウーデの肖像』ピカソ29歳(1910年)の作品
作品『Séraphine』(映画「セラフィーヌの庭」より)_a0146758_1826524.jpg

セラフィーヌの成功はウーデによってもたらされたものでしたが、逆に悲劇もウーデがもたらしたと言えます。
物事の理解力が著しく乏しいセラフィーヌをウーデはコントロールし切れなかったのではないか。画家を援助するというのは一番には経済的なことですが、貧困生活しか知らずそれを甘んじて受け入れていたセラフィーヌにとって当初は「毎日絵が描ければそれで良い」の範疇であったものが(実際に彼女は過剰な援助を拒む)、パトロンという意味に気が付いてしまった時にまるで子供のように浪費を繰り返してしまうのです。つまり、遠慮や限度といった常識を彼女は持ち得ず、しかもそれまでの貧困生活からの反動が拍車をかけてしまいました。
ウーデが約束してくれたパリでの個展開催も、彼女にとっては単なる画壇へのデビューではなく、宗教的儀式のような神聖なものであったのです。個展の準備のために彼女は高価なウェディングドレスを注文します。そして招待するのは天使たち…。しかし個展はウーデの経済的事情でいつまでたっても実現しません。その意味を全く理解できないセラフィーヌ。とうとう精神が崩壊してしまいます。
私は、こうなる前に何らかの解決策がなかったのかと心底悔やみました。映画は邦題にあるように病院の庭に立つ大きな樹の下でセラフィーヌが椅子に佇む場面で終わるのですが、この創作された場面はより一層救われない気分にさせられました。

私が描いたセラフィーヌの絵は、彼女が注目された時期に沢山の人々の取材を受け、自身の作品を前に写真を撮られた時のものです。映画での誇らしげな彼女の表情が印象的だったのですが、描き上げた私の絵は重苦しい雰囲気になってしまいました。映画があまりにも深遠であったためでしょう。
ある人に、「あなたの絵は怖いですね」と言われたセラフィーヌは、「私も自分の絵が怖いのです」と答えます。意図的に怖い絵を描いて注目されようとする人はいますが、彼女の場合は違います。私も何度か経験があるのですが、何かに取り憑かれたように無心で描いた絵は、たとえ明るく楽しい題材であっても完成した後に怖い気分になる時があります。セラフィーヌは「守護天使からの啓示」という義務感と自然に対する畏敬の念に包まれて絵を描いていました。彼女の「怖い」という感覚は、使命を達成した時の至上の幸福感であったと思います。

『arbre de vie(命の木)』 セラフィーヌ・ルイ作
作品『Séraphine』(映画「セラフィーヌの庭」より)_a0146758_18264865.jpg

以前から私は絵を描くというのは「本能的な行為」であると感じていました。食欲や性欲と同じく人間には「創造欲」というものがあり、画家はこの沸き上がる欲求によって作品を生み出す。しかし、絵を生業とする上では金銭欲や名誉欲が頭をもたげてくる訳で、そのような欲求は創造欲を曇らせてしまいます。(では「お前は注文画には心血を注がないのか」と言われるかも知れませんが、私は求められた題材に対し創造欲を高める術を備えているのがプロの第一条件であると思っています)
セラフィーヌの作品には、創造欲に一点の曇りもありません。これこそが絵を描くという行為の原点であると思うのです。そこには何の制限もありません。教育すら必要ではないと言っても過言ではありません。
よく学校での図工や美術の時間が辛かったという声を聞きます。それは「こうしなさい ああしなさい」という制限ばかりだったからです。授業のひとつであり成績の優劣をつけなければならないという規制のもとに絵を教える教師の辛さも分かりますが、本来の美術教育は子供たちの「創造欲」を沸き上がらせるものでなければならないのです。「描きたいものを描きなさい」で良いと思うのです。漠然とし過ぎるのであれば、まずは「好きな人を描きなさい」で良い。それは、お母さんであっても友達であってもルフィであっても織田信長であっても構わない。さらには画材だって自由に選ばせれば良い。鉛筆が適している子もいれば油絵具に出会って絵を描く楽しさを知る子もいる。山下清の貼り絵を例に出すまでもないでしょう。

セラフィーヌの小さな板切れに描いたリンゴの絵に感銘を受けたウーデ。ウーデの紹介によって彼女の絵を買った人達。いずれもセラフィーヌがどんな人物であったのかは関係ありませんでした。ヨーロッパの人々の芸術に対する見識の高さを感じた次第です。我が国にも、かつて山下清を見出した土壌があったはずなのですが…。

『セラフィーヌの庭』、私の大切な一本になりました。
今後、もしも創造欲が曇り出すようなことがあったら、また観ることでしょう。。。。

実際のセラフィーヌ・ルイ
作品『Séraphine』(映画「セラフィーヌの庭」より)_a0146758_18272128.jpg

by Patch_It_Up | 2012-06-25 01:51 | 人物画 | Comments(0)
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