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福島に生まれ青森に育つ。18歳で画家を志し上京。紆余曲折の末、50歳にして画業に専念。油彩&水彩の風景画・人物画に日々取り組んでいます 。 facebookもよろしく→https://www.facebook.com/tarutana カテゴリ
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パナソニック汐留ミュージアムで『キリコ・変遷と回帰展』を観る
ジョルジョ・デ・キリコの展覧会を観るのは、2005年10月の大丸ミュージアムでの『巨匠デ・キリコ展』以来であった。正直、大丸での展覧会にはガッカリであった。やはり私が観たいのは、1910年代の形而上絵画である。その初期の偉大なる作品はほとんど展示されておらず、後年に形而上絵画を自ら模写した作品が中心であった。寂しい気持ちで会場を後にした記憶がある。
さて、今回の展覧会、またもや初期の形而上絵画は総展示数104点に対し、僅か4点のみであった。 本展のサブタイトルに「ピカソが畏れた。ダリが憧れた。」とあるが、それはシュルレアリスムが台頭する前のキリコ独壇場の形而上絵画芸術である。それを観せずして、このような大袈裟なタイトルで集客を図ってはいけないと思うのである。 キリコは、シュルレアリスト達に騎手として祭り上げられたが、20年代に入ると前衛芸術そのものに不信感を抱き、反シュルレアリスムの立場をとるようになる。さらに1933年には過去の自作を一切否定する。また、生前から世界中に何千点という贋作が出回り、その影響なのか1940年代から明らかに真作である自らの作品を贋作だと主張し出し、多くの画商や美術館と裁判騒ぎを起こす。その真意は今も謎なのである。そうしたことから、キリコの初期作品を展示することに世界中の美術館や展覧会主催者は未だに及び腰なのかも知れない。 「後年に描いた形而上絵画の模写があるから良いではないか」と言われるかも知れないが、初期の作品と後年の模写では力量の違いが明白である。本展での4点のみを観ても分かる通り、色彩に圧倒的される。後年の模写にはその色彩的迫力が欠けている。年齢的バイタリティーもあるであろうが、絵を描く者として想像するに、絵の具の違いだと思う。若造の頃は金も無く、手元にある絵の具の種類も少なく、高価な絵の具も持っていなかったであろう。表現したい色彩を複数の絵の具を混ぜ合わせながら試行錯誤し、独自の色彩表現を編み出していた。しかし、後年は…という訳である。なんだか、後年の模写には色彩の深みが感じられないのである。 キリコは前衛芸術・シュルレアリスムと決別した後、古典主義へ傾倒する。本展には、ゴヤやドラクロワを模写した貴重なデッサンも展示されている。そうしたキリコの探求心が結実した『秋 (Automne)』という作品には感動した。二番目の妻イザベッラをモデルにして「豊穣の女神」=(私の想像であるが)を描いたバロック調の傑作であった。この時期の作品をもっと観てみたい。 The self-portrait at the exhibition of Chirico. 彫刻も多く展示されていた。その中で、「不安を与えるミューズたち」というブロンズ像に引き込まれた。オリジナルの形而上絵画は1917年作。1974年に模写した同作も展示されていたので、この彫刻も70年代の作であろう。ブロンズではあるが、美しい鏡面仕上げである。これが、モノトーンで無機質な空間を作り上げ、天井の照明演出によって、像が不思議な影を映し出す。私は、これこそが形而上絵画の非現実的で緊張感に満ちた世界の具現化であると感銘を受けたのである。この演出が、キリコ本人の発想であるとしたら、納得の一言に尽きるが、他者(演出家など)によるものであるとしたら、その人に賞賛の意を表する次第であります。。。。
by Patch_It_Up
| 2014-11-11 20:02
| 美術見聞録
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