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福島に生まれ青森に育つ。18歳で画家を志し上京。紆余曲折の末、50歳にして画業に専念。油彩&水彩の風景画・人物画に日々取り組んでいます 。 facebookもよろしく→https://www.facebook.com/tarutana カテゴリ
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松戸市立博物館・『板倉鼎・須美子展』
松戸市立博物館で『よみがえる画家 板倉鼎・須美子展』を観る。
松戸育ちの板倉鼎(いたくら かなえ)は1901(明治34)生まれ、東京美術学校出身、在学中に帝展入選、卒業の翌年にロシア文学者の娘・昇須美子(のぼり すみこ)と結婚。1926年、二人はハワイ経由でパリに渡り、エコール・ド・パリの画家たちの影響を受けながら創作に励み、鼎はサロン・ドートンヌに入選。子供も生まれ、育児に忙しい須美子であったが、鼎の手ほどきによって油絵を描き始める。帰国を目前にした1929年、鼎は敗血症で倒れ、28歳の若さでパリで客死する。 須美子もサロンに入選するなど画家として活躍するが、帰国後の1934年、肺結核のため25歳で他界する。 本展は、初公開を含む作品・資料約150点により板倉鼎・須美子夫妻の生涯にわたる画業を丹念に追った過去最大規模の回顧展で、鼎の成功の軌跡と、二人の愛の物語を描いた映画を観るような感動的な展覧会であった。 鼎の初期の作品は、東京美術学校出身ならではのアカデミックな画風である。それが、パリ留学中に劇的に変わる。須美子をモデルにした人物画が中心であるが、私個人としてとても好感の持てる作風であった。それもそのはずで、パリでロジェ・ビシエールに師事していたのである。私はビシエールの初期の作品がこの上なく好きで、鼎の作品にはビシエールの影響が如実に表れている。本展にはビシエールの作品も一点展示されており、私は歓喜したのである。 一方の須美子であるが、絵に関しては全くの素人であったが、鼎に学び才能が開花する。鼎の日記には、「須美子が絵を描き始めた。才能がある。なまじ東京で絵の教育を受けていないことが良かったのであろう。伸び伸びと描いている」といったことが書かれている。この言葉通りの自由奔放な須美子の作品に私は魅了された。 絵を学ぶには様々な形態がある。美術学校で高度な教育を受ける。町の絵画教室で楽しい趣味の時間を過ごす。そして、私のように独学で苦しむ。もしかしたら、私生活におけるパートナーから学ぶのが最も良い方法ではないかと、須美子の作品を観て思った。学ぶ側は羞恥心なく何でも聞けるし、教える側は誰よりもパートナーのパーソナリティーを理解しているので丁寧にそして愛情を持って教えることが出来るであろう。 須美子の作品群は、パリ留学の途中に数ヶ月滞在したハワイの思い出を描いたものが中心であったが、鼎の画風とは違う彼女独自の作風であった。そしていきなりパリのサロンに入選したことは、彼女にとって幸運であった。鼎の言葉にある「なまじ東京で教育を受けていないこと」など関係のないパリ美術界の様子が分かるではないか。 妻をモデルにして優れた作品を次々に描く夫、夫に優しく教えられながら自由に絵を描く若妻。なんとも素敵でうらやましい関係ではないか。 二人とも長生きしていれば、我が国の美術界の歴史に大きく名を残したであろうが、早世なればこそ一枚一枚の作品が生々しく我々に迫ってくるのであります。。。。 展覧会は今月29日まで、没後長く埋もれていた才能溢れる作品と愛情物語を知る絶好の機会でありますぞ。 ロジェ・ビシエール作 「花を持つ婦人」1922年 東京国立西洋美術館蔵
by Patch_It_Up
| 2015-11-28 01:13
| 美術見聞録
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