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福島に生まれ青森に育つ。18歳で画家を志し上京。紆余曲折の末、50歳にして画業に専念。油彩&水彩の風景画・人物画に日々取り組んでいます 。 facebookもよろしく→https://www.facebook.com/tarutana カテゴリ
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シュルレアリスムと「福沢一郎絵画研究所 展」
昨日の産経新聞に、赤瀬川原平氏の「シュルレアリスム展を見る」というコラムが掲載されていた。
国立新美術館で開催中のシュルレアリスムを代表する画家の作品170点による大展覧会。昨年は印象派ブームであったが、今年のブームはシュルレアリスムなのか。 まだ大混雑中であろうからもう少し落ち着いてから足を運ぶとしよう。 さて赤瀬川氏の寸評、実に興味深かった。 [じっさいの作品を見ると、期待したものがずいぶん小品だったりして、ちょっと肩すかし、という感じのもあった]そうで、その理由として、[シュルレアリスムの絵というのはセンセーショナルなものだから、その場合は雑誌などで見た時の方が感動も強く、現物では少々トーンダウンする傾向がある]としている。 なるほど、こういう考え方を私は備えていなかった。常々「どんな絵でも印刷物やPCの画面より実物の方が100万倍感動する」と豪語している次第である(笑)。 ただ、シュルレアリスム運動を考えると革新的・反体制的な背景があり、観る側はそうしたセンセーショナルな期待をしてしまうのであろう。実際には10号の絵でも、雑誌や画集で観た時には頭の中で500号に膨れ上がってしまう…そうでなければならないと決めてしまうのであろう。大きさだけでなく色彩もタッチにもそうした期待をする。 私は絵画にそういう意味の期待を持っていないことに気付かされた。 一方で赤瀬川氏はミロの現物に感動したそうだ。 [現物の前でこそ感動するのは、意味ではとらえられない、未分化な絵ということになるらしい]と解説している。これはミロのような抽象画に限ってのことではなく、[印象派の風景画などがそれに値するのでは]と締めくくっている。 また、氏はミロの絵に、[その絵肌にしみじみと見入ってしまったのだ]そうだ。 私の場合、出光美術館でムンクを観た時がそうであった。(出光美術館ではムンク作品を毎年3点ずつ紹介する展示室が設けられている) オイルで薄めた絵具はほとんど一回塗り。キャンバス地が見えていてもお構い無しの「絵肌」に感動した。人間感情を剥き出しにした表現が、その荒々しくスピード感のある「絵肌」で迫ってきたのである。これは画集からは伝わってこない感動であった。 『シュルレアリスム展』、楽しみである・・・。 シュルレアリスムといえば、今年正月早々「板橋区立美術館」で『福沢一郎絵画研究所 展』を観た。副題は「進め! 日本のシュルレアリスム」。 福沢一郎は我が国でのシュルレアリスムの先駆者。1931年、第一回独立美術協会展にフランスより出品した作品群は画壇に衝撃を与えた。岡本太郎が画壇デビューする前である。 福沢の元には若い画家が集まるようになり、1936年、本郷の自宅に「福沢一郎絵画研究所」を開設した。 本展は福沢と研究生の作品85点による初の展覧会であった。 ヨーロッパのシュルレアリスム作品の模倣も多かったが、血気盛んな創作意欲が苦しい程に伝わってきた。研究生には美術学校出身の画家もいたが、意外にも美術教育を受けていない画家も多かった。東大絵画研究会という美術サークルから参加した学生もいたことから、絵画だけでなく思想面での交流もあったのかも知れない。 異色なのは紙芝居「黄金バット」の作者、加太こうじも反アカデミズムな絵画を勉強するために研究所へ通っていた。 最も興味深かったのが高山良策という画家。高山は後に円谷プロの怪獣キャラクターの制作を手掛ける。ウルトラマン世代である私がピンときたのが、上のチケットの半券にも使われている『牛』という福沢の作品。これは、ウルトラマンに登場した「亡霊怪獣シーボーズ」の原形ではないか?。案の定、会場で流されていた高山のドキュメンタリー映像でそうであることが紹介されていた。 福沢一郎絵画研究所は、1941年にシュルレアリスムと共産主義との関係を疑わた福沢の逮捕により閉鎖する。福沢の芸術的遺産がシーボーズのような形で残されたことに私は心和んだのである。 場所は遠かったが、静かな佇まいの板橋区立美術館で心置きなく作品を鑑賞することが出来た。このような美術館に足を運び、知られざる作品に触れることも大事なことであります。。。。
by Patch_It_Up
| 2011-02-24 18:43
| 美術見聞録
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