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お部屋に絵を飾りましょう
by 棚倉樽
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福島に生まれ青森に育つ。18歳で画家を志し上京。紆余曲折の末、50歳にして画業に専念。油彩&水彩の風景画・人物画に日々取り組んでいます 。
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青木繁展-4・「朝日」編

『わだつみのいろこの宮』は夏目漱石をはじめとする文学者や一般人には好評で、新聞紙上にも称賛の記事が載った。しかし勧業博覧会の審査員の評価は散々なものであった。このような現象は現代の美術界においても日常茶飯に生じているだろう。東京国立近代美術館のガイドブックには文展開設が「これを契機に美術が大衆化し世間の注目をあつめるとともに、文展が画家としての社会的、経済的な位置付けを決定するようになるなど、美術が制度化されるという形骸化も生じました」と書いている。私には100年を経過しても我が国の美術界は何も変わっていないと思うのである。

さて、自分の子供に海幸彦・山幸彦に因んで幸彦と命名していることからも、青木がどれほど『わだつみのいろこの宮』に熱を入れていたかが分かる。また、経済的な期待も尋常ではなかった。
『青木繁展』では本作品の横に当時の「東京勧業博覧会美術館出品図録」が展示しており、『わだつみのいろこの宮』のモノクロ写真を見ることが出来た。不鮮明な写真ではあったが、明らかに現物と違う部分を発見した。絵の上部左右には円を描くように金色の塗りつぶしがあるが、写真にはそれがなく樹の枝が画面いっぱいに描かれているのだ。おそらく、青木はなんとかこの絵を売却しようと装飾的な工夫を後に施したのであろう。

勧業博覧会によってどん底に突き落とされた青木ではあったが、まだチャンスはあった。秋の第一回文展である。青木は気を取り戻し文展へ向けて闘志を燃やしていたようで、東京美術学校の同期生、和田三造とこんな会話を交わしている。
「和田君、文部省が展覧会を主催してくれるのは我々にとってこの上ない痛快事だなあ」
「発表の場が増えてありがたいことだ」
「僕が画界を見渡してみるに、手応えのありそうな相手は和田君ぐらいしか見当たらないね。この檜舞台で君と勝負を決しようじゃないか」
「そりゃあ大いに結構、だがその栄誉は僕のものだよ」
この時、和田の制作中の作品を見て青木の闘志は大いに掻き立てられるのであった。

しかし、いよいよ文展の作品に取り掛かろうとした矢先、父親が死去する。長男である青木は郷里久留米で負債の整理、母親と遺家族の扶養を一気に背負うことになる。当然文展への挑戦は諦めざるを得なかった。
それでも東京の友人に頼み、過去に制作した『女の顔』(当ブログ「その一」参照)を出品するが門前払いであった。
文展の審査結果は青木をさらに追いつめた。一等は該当無しであったが、二等つまり記念すべき第一回の最高賞は、なんとあの時に青木が見た和田三造の『南風』だったのである。

和田三造 『南風』 明治40年(1907) 油彩 151.5×182.4cm
青木繁展-4・「朝日」編_a0146758_19141346.jpg

私は東京国立近代美術館でこの絵の観たが、思わず後退りするほど圧倒された。
青木が仕方なしにしても『女の顔』のような小品を出品しようとしたことは、悲しいくらいの焼け石に水に思える。

父親の死をきっかけにして青木は郷里に縛られることになり、福田たねと幸彦とも二度と会うことはなかった。九州での生活は不遇そのものであったが、多少の絵の仕事はあった。『青木繁展』では九州時代に描かれた肖像画が5、6点展示してあったが、ただ金のためだけに描いた生気のないまるで遺影のような作品ばかりであった。私も肖像画の注文をいただいているが、如何に生き生きと描くかが第一であり、青木のやる気無さが伝わってきた。青木自身の生気も薄れていったのであろう。

僅かに残された意欲を持って制作し、第三回文展に出品したのが『秋声』である。

『秋声』 明治41年(1908) 油彩 131×98.6cm
青木繁展-4・「朝日」編_a0146758_19151623.jpg

明らかに黒田清輝など印象派的写実を好む文展審査員を意識した画風である。もう青木の芸術性はどこにも見当たらない。入賞の暁には再び上京し画壇に返り咲こうとした青木の夢も、落選によって打ち砕かれる。以前は展覧会の度に新聞や雑誌に寸評を求められていたが、今回はそれすらなかった。和田三造『南風』にあれだけ悔しい思いをしながら、このような絵しか描けなくなった青木は実に無念であっただろう。さらに、不運にもこの頃から肺患の兆候があらわれる。
あまりにも悲しいこの作品は凝視に堪えられなかった。

全てから逃れるように青木は九州を放浪する。スケッチをしながら酒と女に溺れる破滅への旅であった。
明治43年夏、美術学校の先輩である平島某を頼って佐賀県小城を訪れる。小城中学校の教師をしていた平島は青木を世話することになるが、同居の姪に手を出されたりして困惑する。青木は元々人の恩をなんとも思わない気質がある。
平島は青木を姪から遠ざけるために青木に旅を勧める。そして向かったのが唐津であった。そこで絶筆となる『朝日』を描く。

『朝日』 明治43年(1910) 油彩 72.5×115cm
青木繁展-4・「朝日」編_a0146758_19161954.jpg

この絵は小城中学校(現高校)が額縁程度の金で買い取った。おそらく平島の尽力によるものであろう。
かつての情熱の微塵も感じられないという人が多いが、実物を観て私は大いに感動した。確かに最盛期の青木芸術とはかけ離れているが、九州時代のものとしては最高傑作であった。何の邪念も感じられない穏やかさ。心の豊かささえ伝わってくるようだ。福田たねと眺めた房総布良の海を懐かしんでいるのか、それとも豊玉姫を想う山幸彦の心境なのか。
今回『青木繁展』を観に行った時、私は依頼された海の絵をちょうど描き始めた頃であった。この『朝日』の言い知れない繊細さと奥深さは、創作に大いなる刺激をもたらせてくれたのである。

『朝日』を描き上げてまもなく病状が悪化し喀血。翌明治44年3月25日、福岡の病院で28年の生涯を閉じる。
あまりにも不遇だったその一生は、青木自らが不幸を招き続けた結果であると言えなくもない。あるいは、16歳の頃に肺結核を患ったことから長くない自分の寿命を悟り、人が理解出来ないほどの早さで激走したのかも知れない。
芸術家青木繁および青木芸術作品の光と影の全貌を体感できる『青木繁展』は、単に絵画を鑑賞する展覧会ではなく息詰るほどの悲劇の舞台を観ているようであった・・・。

連載はこれで終了。
しかし明日も私はブリヂストン美術館へ出掛けるのであります。。。。

青木繁展-4・「朝日」編_a0146758_19165729.jpg

by Patch_It_Up | 2011-08-28 02:34 | 青木繁 考 | Comments(2)
Commented by SwingingFujisan at 2011-08-31 00:37 x
先日はコメントありがとうございました。
さっそく棚倉様の青木繁展についての記事を拝読しましたら、どうにも我慢がならず、本日(あ、もう昨日ですね)もう一度見てきました。今回は全点を見るのではなく、好きな絵だけに集中しました。「朝日」からは離れがたい思いがしました。青木の人生を感じる展覧会でした。
Commented by Patch_It_Up at 2011-08-31 01:02
>SwingingFujisanさん、よくいらっしゃいました。
長い長い私の記事を読んでいただいてありがとうございます。
御ブログへの私のコメントへのお返事も読ませていただきました。
「どうにも我慢がならず」、とは良い意味だったようで。
絵とは、一瞬の出会いも素敵なものですが、二度三度と観る度に印象が変わってゆくものです。
「朝日」は、そういう意味で傑作だと思います。
私は明日もまたブリヂストン美術館へ行きます。
この機会に青木芸術の本心に迫りたく思うのであります。
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