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福島に生まれ青森に育つ。18歳で画家を志し上京。紆余曲折の末、50歳にして画業に専念。油彩&水彩の風景画・人物画に日々取り組んでいます 。 facebookもよろしく→https://www.facebook.com/tarutana カテゴリ
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作品『忘れえぬ女』(漱石著・硝子戸の中より)
"An Unforgettable Lady”
12.7×18cm・Watercolor painting 夏目漱石の文章には度々絵画的描写が見られる。漱石が死去する前年に書かれた随筆『硝子戸の中(がらすどのうち)』にも実に印象的な情景描写がある。 「日陰町の寄席の前まで来た私は、突然一台の幌俥に出会った。私と俥との間には何の隔たりもなかったので、私は遠くからその中に乗っている人の女だということに気がついた。まだセルロイドの窓などの出来ない時分だから、車上の人は遠くからその白い顔を私に見せていたのである。 私の眼にはその白い顔が大変美しく映った。私は雨の中を歩きながらじっとその人の姿に見惚れていた。同時にこれは芸者だろうという推察が、殆んど事実のように、私の心に働きかけた。すると俥が私の一間ばかり前へ来た時、突然私の見ていた美しい人が、丁寧な会釈を私にして通り過ぎた。私は微笑に伴うその挨拶とともに、相手が、大塚楠緒(くすお)さんであった事に、始めて気が付いた。」 大塚楠緒(楠緒子)とは、明治末の歌人、作家で、美貌の才媛として知られていた。夫の美学者、大塚保治は漱石の友人であった。一説では、楠緒さんは漱石の恋人であったとか、漱石をふって保治の元へ走ったとか言われているが、前述の文章からも漱石の心に残っている女性だったのは紛れもない。 さて、私はこの情景からロシアの画家イワン・クラムスコイが1883年に描いた『忘れえぬ女』を連想し、この水彩画を描いた。 実は、漱石の文章がここで終わっていれば、絵にする程の想像力が働いたのかは分からないのだが、最後に楠緒さんの訃報を聞いた時の漱石の手向けの句に胸を打たれ、俄然絵に残したくなったのである。その時漱石は入院中で、病室で楠緒さんの為に以下の句を詠んだ。 「ある程の 菊を投げ入れよ 棺(かん)の中」 楠緒さんは漱石にとって生涯忘れえぬ女性だったと思わざるを得ませんね。美しいまま三十五歳でこの世を去った人への悲しみと葬儀で最後の別れを告げられない無念さが、この句に込められていると思います。もしかしたら、あの雨の日に遠目に俥の女性を発見した時、漱石にはすぐに楠緒さんだと分かったのかも知れませんね。様々な意味で楠緒さんを永遠に自分の胸にしまっておく事にしたのでしょう。。。。 五年前に渋谷Bunkamura ザ・ミュージアムの『忘れえぬロシア』展で、イワン・クラムスコイ 『忘れえぬ女』を観た感想はこちら→ 『忘れえぬ女』
by Patch_It_Up
| 2014-10-20 21:44
| 日本美人図
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