お部屋に絵を飾りましょう
by 棚倉樽
ご挨拶
福島に生まれ青森に育つ。18歳で画家を志し上京。紆余曲折の末、50歳にして画業に専念。油彩&水彩の風景画・人物画に日々取り組んでいます 。
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第四章・ 二『倭建命(ヤマトタケル)の東征』

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Graphic saga "Kojiki"

Chapter 4 #2. “Yamato-Takeru go to east”

30×17cmCanson Figueras canvas paper-oil painting

From Japan's oldest history book "Kojiki" (712).

Yamato-Takeru conquered the western country and returned to Yamato country. But The Emperor was afraid of him and immediately ordered to conquer the east country.

Yamato-Takeru departed with a few soldiers. He met with his aunt "Yamato-Hime" who is a shrine maiden in "Ise Shrine" and cried saying "Why do the Emperor avoid me, do you think I should die?" Yamato-Hime gave Yamato-Takeru a sacred sword "Kusanagino Tsurugi" and a mysterious bag.

Yamato-Takeru thanked his aunt and continued his fight trip. When they reached Shizuoka, they were deceived by the lord of the land and surrounded by fire. Yamato-Takeru took flints from a mysterious bag and launched a big fire. A great flame struck the bad lords and burned them.

Yamato-Takeru continued his victory journey, arriving in Kanagawa. There, a sad event was waiting for him. . .

 ヤマトタケルが西国を制圧して帰還し幾日も経たずに、父である景行(けいこう)天皇は「東の十二国にも我らに従わない荒ぶる神、豪族どもがいる。それらもお前が平定せよ」とヤマトタケルに命ぜられた。

 やむなくヤマトタケルはわずかの兵と共に都を発ち、まずは伊勢神宮にて戦勝祈願を行うことにした。皇祖神アマテラスを奉る伊勢神宮に天皇の名代(斎宮・さいくう)として仕えていたのがヤマトタケルの叔母、倭比売命(ヤマトヒメ)であった。叔母を慕うヤマトタケルは、「天皇は私が死んでしまうことをお望みなのか。西の悪者どもを撃退したばかりなのに、はや東へ行って戦えと申された。私が東で討ち死にすればお喜びになるのであろうか」と泣きながら訴えた。ヤマトヒメは何も言わず、須佐之男命(スサノヲ)由来の宝剣「草薙の剣(くさなぎのつるぎ)」をヤマトタケルにお授けになった。そして、落ち着きを取り戻し決意を新たにしたヤマトタケルに、「危ない目に遭われたら、この袋を開けるのですよ」と一つの袋をお授けになった。

 叔母の優しさを胸に伊勢神宮を発ち、山河の荒ぶる神や各地の反逆豪族を制圧しながら、ヤマトタケル一行は駿河国(静岡県)に入った。駿河の国造(くにのみやっこ=領主)が、「ここには大変強い霊力を持つ神が住む大沼がある」と偽りを申し上げた。ヤマトタケルがその沼を見に行くと、国造が沼の周りに火を放った。一瞬のうちに火に囲まれたヤマトタケルは、叔母から賜った袋を開けた。その中には火打ち石が入っており、それを使って向かい火を起こした。炎は国造の集団に襲いかかり、その悪人どもすべてを焼き殺した。それゆえこの地が「焼津」となったのである。

 さらに東へ進み、相模国(神奈川県)に於いてヤマトタケルは新たな悲劇に見舞われるのでありました


 ヤマトタケルの粗暴にして子供っぽい弱さを持つ性格は、スサノヲを彷彿とさせられます。さらに、スサノヲには擁護神である姉のアマテラスがいたように、ヤマトタケルにも叔母のヤマトヒメがいました。まるでヤマトタケルはスサノヲの生まれ変わりのようでもあります。「姉のいる男は出世する」との迷信を聞いたことがあるが、このことからなのだろうか。倭民族は女性に守られている、というのが私の信じるところであります。

 ヤマトヒメがお務めになられた伊勢神宮の「斎宮」、この聖職は南北朝時代に途絶えましたが、後に「祭主」として継続します。現在、その祭主をお務めになっておられるのは、昭和天皇の第四皇女・池田厚子様の後を継がれた今上天皇の第一皇女 元の紀宮清子(のりのみやさやこ)内親王殿下、現 黒田清子様です。ご結婚を機に皇籍離脱される皇女の方々でありますが、元皇族としてのお立場は、このように日本国をお守りになる使命を貫かれているのであります。。。。


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by Patch_It_Up | 2018-05-05 18:45 | 古事記・絵物語
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