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by Patch_It_Up
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福島に生まれ青森に育つ。18歳で画家を志し上京。紆余曲折の末、50歳にして画業に専念。油彩&水彩の風景画・人物画に日々取り組んでいます 。
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第四章・ 三『弟橘比売命(オトタチバナヒメ)の入水』

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Graphic saga "Kojiki"

Chapter 4 #3. “Sacrificial Princess”

17×30cmCanson Figueras canvas paper-oil painting

From Japan's oldest history book "Kojiki" (712).

Yamato-Takeru's warship tried to cross from Kanagawa to Chiba. He boasted that "this sea can easily cross." The God of the sea who heard it got angry and caused a storm. The raging waves came up, trying to overturn the ship. At that time, Yamato-Takeru's wife"Ototachibana-Hime", who was aboard the ship, jumped into the sea saying, "I will stop the wild waves." Ototachibana-Hime went down to the seafloor while praying. Then the storm stopped. In this way, the ship of Yamato-Takeru arrived in Chiba safely.

Seven days later, a comb of Ototachibana-Hime was found on the coast of Chiba. Yamato-Takeru built the tomb of Ototachibana-Hime and enshrined the comb.

Thus, Yamato-Takeru continued the fight in the east country…

 ヤマトタケルは駿河国を後にして、船でさらに東へ進軍した。そして、相模国の走水海(はしりみずのうみ=浦賀水道)を渡って上総国を目指した際、海峡の神が荒波を起こし航行を邪魔し、船は進退窮まった。その時、ヤマトタケルの妃である弟橘比売命(オトタチバナヒメ)が、「あなたは天皇の命を果たさなければなりません。私が海に入って波を鎮めましょう」とおっしゃり、海に投げ込んだゴザの上にお座りになった。そして、オトタチバナヒメは祈りを捧げながら渦の中に静かに沈んでいった。まもなく荒波は収まり、ヤマトタケルは上総国の木更津あたりに無事に上陸したのである。

 七日後、オトタチバナヒメの櫛が海辺で見つかった。ヤマトタケルはその櫛を、茂原の地に御陵を作って納められた。

 ヤマトタケル軍は筑波山まで進軍した後、南下して武蔵国に入り各地を平定した。ヤマトタケルは、足柄坂(神奈川県足柄山)で東を振り向き、オトタチバナヒメを思い「吾妻はや(我が妻よ)」と三度仰せになった。それゆえ、東の方角を「あづま」と言うのである


 上総国すなわち千葉県にはオトタチバナヒメにまつわる伝説が数多く残っており、ヒメを祀る神社が茂原の「橘樹神社」をはじめとして多く分布しています。袖ヶ浦という地名も、オトタチバナヒメの着物の袖が流れ着いたということに由来しているのです。

 このように、自らの命を捧げてヤマトタケルを助けたオトタチバナヒメの物語は日本人の心に深く残ったのであります。

 また、私が住む千葉県松戸市にはヤマトタケルの伝承があります。以下は、ヤマトタケルを御祭神として祀る街の鎮守・松戸神社の由来

 景行天皇の御代40年(110)、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が武蔵国へ向かわれる際に、当地にご陣営を設けて従将の方々と待ち合わせたため、『待つ郷』(まつさと)=『待土』(まつど)と呼ばれ、『松戸』の地名が生まれたと云われています。。。。


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by Patch_It_Up | 2018-05-10 21:16 | 古事記・絵物語
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