お部屋に絵を飾りましょう
by 棚倉樽
ご挨拶
福島に生まれ青森に育つ。18歳で画家を志し上京。紆余曲折の末、50歳にして画業に専念。油彩&水彩の風景画・人物画に日々取り組んでいます 。
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第五章・ 一『聖帝(ひじりのみかど) 仁徳天皇』

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Graphic saga "Kojiki"

Chapter 5 #1. “The Holy Emperor”

30×17cmCanson Figueras canvas paper-oil painting

From Japan's oldest history book "Kojiki" (712).

The three sons of the 15th Emperor “Oujin-Tenno” fought a successor. And the second son Oosazaki became the 16th Emperor "Nintoku-Tenno".

Emperor Nintoku made a capital in Osaka, actively carried out public works projects, and was familiar to the people.

One day the Emperor climbed a high mountain with the Empress and the Ministers. The Emperor looked at every side and said, "Evening, smoke has not risen from the kitchens of people's homes, people are poor, so I decide not to collect taxes from people for three years." And The Emperor decided not to live a luxury life by himself. Therefore, even if the palace was broken, he did not repair it.

Three years have passed and people's lives have become rich. And people gathered in the palace and actively repaired the palace.

Thus, this era was called "The era of The Holy Emperor”…

 第十五代応神(おうじん)天皇は三人の皇子を授かった。天皇は一番若い「宇遅能和紀郎子(ウジノワキノイラツコ)」に皇位を譲るおつもりであった。当然、兄弟間の後継争いが起きたが、次男である「大雀命(オオサザキ)」が皇位を継承し、第十六代仁徳(にんとく)天皇となられた。

 仁徳天皇は、難波の高津宮(大阪市中央区)に都を定め善政を敷き、大規模な公共事業に着手し、人民の信頼が厚かった。

 ある日天皇は、妃や大臣(おおおみ)の建内宿禰(タケノウチノスクネ)らを伴って、高い山に登られ四方を見渡した。そして、「夕方だというのに、家々の竃(かまど)の煙が立っていない。民の生活は苦しいのであろう。これから三年の間は税と使役を取りやめることにしよう」と仰せになった。天皇は自らも宮城の修繕などを行わない倹約に徹した。やがて宮城の屋根は朽ち、天皇の寝室からは星空が見えるほどであった。

 三年が経ち、民の生活は豊かになり、人々は話し合って宮城に押しかけた。そして従者の制止を振り切り、宮城の修繕を行ったのである。

 これゆえ、仁徳天皇の時代は「聖帝の世(ひじりのみかどのよ)」と呼ばれているのであります。。。。


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by Patch_It_Up | 2018-06-03 13:51 | 古事記・絵物語
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