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お部屋に絵を飾りましょう
by 棚倉樽
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福島に生まれ青森に育つ。18歳で画家を志し上京。紆余曲折の末、50歳にして画業に専念。油彩&水彩の風景画・人物画に日々取り組んでいます 。
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作品・古事記より終章『新しい時代』

作品・古事記より終章『新しい時代』_a0146758_21491442.jpg

Graphic saga "Kojiki"

Epilogue. “The new era”

20×40cmCanson Figueras canvas paper-oil painting

From Japan's oldest history book "Kojiki" (712).

Buddhism was transmitted to Japan around the year 552 AD. The ministers who serve the Emperor were divided into Buddhism and Shintoism and conflicted. The 29nd Emperor "Kinmei-Tenno" at that time did not support either. Buddhist minister "Soga" built a temple and worshiped the statue of Buddha. Then plague epidemic became popular in the country. The Shinto ministers baked temples saying, "Our Deities were angry." The battle of the ministers continued for a long time.

The 31st Emperor "Youmei-Tenno" declared that "I trust Buddhism and respect Shinto," and calmed down the confusion.

After that, the sister of Emperor Youmei became The 33st Emperor "Suiko-Tenno". The first female emperor was born. Emperor Suiko appointed her nephew "Shotoku-Taishi" as the minister, and prepared the state system. And Emperor Suiko spread Buddhism, and built "Horyuji" in Nara in 607.

In this way, Japan has reached a new era in which Shintoism and Buddhism merge. And "Kojiki" is "The pure Japan story" which represents the spirit of the Japanese before Buddhism was transmitted to Japan.


Graphic saga "Kojiki" is complete with this. I appreciate your reading...


 古事記本編の最後に記述されている推古天皇の逸話をこの『古事記・絵物語』の終章とし、完結いたします。

 第二十九代欽明(きんめい)天皇の時代、印度、中国を渡り百済から仏教が伝来する(西暦552年頃)。すると、天皇の補佐役の豪族たちは崇仏派と排仏派に分かれ、激しく対立した。前者は大臣(おおおみ)の蘇我稲目(そがのいなめ)、後者は大連(おおむらじ)の物部尾輿(もののべのおこし)である。天皇は混乱を避けるために百済の聖明王から贈られた仏像の礼拝を蘇我稲目に任せた。蘇我氏が寺を建てて仏像を拝んだところ、国中に疫病が蔓延した。排仏派は、「わが国の神々の怒りに触れたからである」と寺を焼き、仏像を投棄させた。

 崇仏派が敗れたかに見えたが、蘇我稲目は天皇の皇子である橘之豊日命(タチバナノトヨヒノミコト)と皇女の豊御気炊屋比売命(トヨミケカシキヤヒメノミコト)に、「仏法を捨ててはならない」と遺言を残した。この二人の御子の母君は蘇我稲目の娘にして欽明天皇の妃のひとり岐多斯比売(キタシヒメ)である。祖父の遺志を抱いたまま橘之豊日命は第三十一代用明(ようめい)天皇となられた。用明天皇は仏教に改宗し、「仏の法を信じ、神の道を尊びたまふ」と仰せられた。

 仏教をめぐっての豪族たちの対立は代が代わっても収まらず、蘇我馬子(そがのうまこ)と物部守屋(もののべのもりや)は、用明天皇の崩御に伴い時期天皇擁立をめぐっての抗争を繰り広げ、とうとう、第三十二代崇峻(すしゅん)天皇暗殺事件が起こった。

 崇峻天皇の後を継いだのが、前述の豊御気炊屋比売命、第三十三代推古(すいこ)天皇である。初の女性天皇は、母方の伯父・蘇我馬子と、甥の厩戸皇子(うまやどのみこ=聖徳太子)を徴用し、中央集権国家確立のための治世を執り行った。そして、祖父蘇我稲目の遺志を受け継ぎ仏法興隆にも努め、斑鳩に法隆寺を建立したのである(西暦607)

 「仏法を信じ、神の道を敬う」という我々日本人のメンタリティはこの頃に由来したと言える


 第四十代天武(てんむ)天皇の命によって同時期に編纂された「古事記」と「日本書紀」ですが、壬申の乱までの記述がある「日本書紀」に対し、「古事記」は仁賢天皇までの物語の後、推古朝までの系譜のみの記述で完結します。日本書紀は正史とされていますが、古事記は神話を中心として仏教伝来以前までの大和民族の精神の源泉を表した神典と言えます。

 三十三年を費やして注釈書「古事記伝」を成立させた江戸時代の国学者・本居宣長は、「やまとごころ」を重視して儒教的な「からごころ」を退けるという態度を貫きました。つまり、古事記とは「The pure Japan story」なのであります。


 『古事記・絵物語』、これにて完結。ご愛読、心より感謝申し上げます。。。。


by Patch_It_Up | 2018-07-21 21:50 | 古事記・絵物語 | Comments(0)
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