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お部屋に絵を飾りましょう
by 棚倉樽
ご挨拶
福島に生まれ青森に育つ。18歳で画家を志し上京。紆余曲折の末、50歳にして画業に専念。油彩&水彩の風景画・人物画に日々取り組んでいます 。
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作品『アーチー・パンジャビ』

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"Archie Panjabi"

18×27cmCanson Figueras canvas paper-oil painting

This is Indian British actress Archie Panjabi who appeared in the American TV drama "The Good Wife" and "Blindspot". I love her intellectual and mysterious atmosphere.

 海外ドラマを見ていると必ず魅力的な脇役に出会う。「グッド・ワイフ(The Good Wife)」、「ブラインドスポット(Blindspot)」に出演していたインド系イギリス人女優、アーチー・パンジャビもその一人。知的でミステリアスな彼女が登場すると画面が引き締まる。。。。


# by Patch_It_Up | 2019-05-21 15:13 | ムービースター画

孫娘、舞乃と

I held a very small granddaughter born on May 8th. Her name is "舞乃(Mano)".

 辻堂の次男宅を訪問。5月8日に生まれた孫娘と初対面する。予定日より三週間あまり早く生まれたので、まだまだ小さい。時折大きな目をクルクル回して面白い表情を見せてくれる。命名は「舞乃(Mano)」。成長が楽しみである。

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 祝いに、様々な意味を込めて私が描いた「安室奈美恵」の肖像画を贈った。

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# by Patch_It_Up | 2019-05-16 17:06 | 思い出絵日記

追悼、京マチ子さん

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五月十二日、京マチ子さんが逝去されました。九十五歳でした。

私は2011年にデジタルリマスターされた映画『地獄門』を観て、京マチ子さんの美しさに圧倒されこの絵を一気に描き上げたのでありました。合掌。

A great Japanese actress, "Machiko Kyo” died on May 12th. She was 95 years old. I genuinely pray for her happiness in the next world.

袈裟御前(Lady Kesa)” 40.9×27.3cmOil painting

This is a picture describing one scene of the movie "Jigokumon (Gate of Hell)" made in 1953.


# by Patch_It_Up | 2019-05-14 20:10 | 日本美人図

映画『空母いぶき』楽しみにしていたのだが…

 今月24日公開の映画『空母いぶき』、私は非常に楽しみにしていて公開日の朝一のチケットを購入するつもりでいた。が!、首相役の佐藤浩市の映画に関するインタビュー記事を読んで、金払って観る気が失せた!

 佐藤談 :「最初は絶対やりたくないと思いました()。いわゆる体制側の立場を演じることに対する抵抗感が、まだ僕らの世代の役者には残ってるんですね」。ん~佐藤浩市、緒形拳、夏目雅子と共演した『魚影の群れ』を観て以来ファンになった私は彼こそ日本を代表する俳優であると思っていたが、過激派賛美の映画一本に出演しただけで反体制の騎手気取りになって政界進出した某勘違い俳優と同レベルの人間であったとは、失望の極み!。

 まあ、ニュートラルな立場でどんな役でもこなすのが役者であるとの考え方もあるが、58歳の佐藤が自分のアイデンティティーを明確にして今後の活動の方向性を示したことは良いことであると思う(私自身がそうであるから)。今後の佐藤は反体制、リベラルな役しか引き受けないだろうし、もし逆の役を演じても「嘘っぱちやってらあ」と見る側は思うのである。

 『空母いぶき』WOWOWで放映してくれるまで待つとしよう。。。。

三國連太郎さんは偉大な俳優でありました。水彩・12.7×18cm 平成25年作品

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# by Patch_It_Up | 2019-05-14 14:05 | 本・映画・音楽

吉村昭著「白い航跡」と偉人高木兼寛、と森鴎外

 私が心臓疾患の治療で18年前からお世話になっている東京慈恵会医科大学付属病院。新橋の本院で入退院を繰り返し、現在は葛飾区青戸の同病院医療センターに通っている。幾たびかの長い入院中「麦飯」が病院食で出ることがあった。その理由は本文にて。

 さて、本院、医療センター共々、エントランスに当病院の創設者、高木兼寛(たかきかねひろ)男爵の肖像と、『病気を診ずして 病人を診よ』の高木卿の銘が掲示してある。当病院の基本理念と思われるこの言葉に私は大いに信頼感を抱いている。

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 幕末、薩摩藩医だった高木兼寛の半生と東京慈恵医大病院の成り立ちを物語った歴史小説『白い航跡』を一気に読んだ。読後の感想から申し上げると、高木卿が遺した『病気を診ずして 病人を診よ』の意味がよく解った。

 小説は二十歳の高木兼寛が、官軍・薩摩藩付の医者として平潟(茨城県北茨城市)に上陸するところから始まる。この時代にあっても我が国では漢方医学が主流で、刀や槍の負傷者の手当てがやっとで、最も多い銃創者の治療はお手上げであった。戦地でのそのような有様の中、高木は関寛斎という西洋医学を修めた軍医の外科治療技術に衝撃を受ける。これが、後に高木が英国の臨床医学に傾倒するきっかけとなった。

 明治になり、高木は開成学校(東京大学前身)で一年あまり英語と西洋医学を学んだ後、鹿児島医学校(現鹿児島大学医学部)の教授を務める。その後海軍軍医となり、明治8年英国へ留学する。英国の医学校では成績優秀のため教授資格を取得する。明治13年の帰国後、東京海軍病院長に就任するなど海軍医療の中枢的存在となる。

 さて、高木の医学者としての最も大きな功績は、「脚気(かっけ)」の原因を解明したことである。小説においても、この病気をめぐる高木と軍、医学界との対決がドラマチックに描かれている。脚気とは、ビタミンB1の欠乏により心不全を引き起こし最悪の場合には死に至る恐ろしい病気である。食生活が改善された江戸時代に広まり、明治に入りさらに流行し年間1万人以上が死亡した。

 海軍においても訓練航海で、脚気によって死亡する兵がおびただしかった。高木は英国をはじめとする西欧では脚気は皆無で日本独特の病気であることに着目し、白米を中心とする食生活に原因があるとして、海軍の食事を麦飯やパン食に変えることを主張する。海軍では主食の白米は軍が用意したが、副食は現金を支給し各々の自由にさせていた。兵は金を酒代に当てたり田舎の実家に送金するなどし日々の食事は白飯だけとする者が多かった。さらに陸軍軍医部やドイツ医学を信奉する東大医学部を中心とした医学界は「細菌」が原因であると猛反発する。反対派には北里柴三郎、陸軍軍医、森林太郎(鴎外)もいた。特に鴎外の反発は激烈であった。

 高木の戦いは孤軍奮闘の言葉が軽すぎるほどであったが、日清戦争が目前に迫り、脚気が原因での兵は一人も死なせないという高木の信念が、軍上層部、明治政府、さらには皇族をも動かし、日清戦争下において食事改善を行った海軍は脚気患者がほとんど発生しなかったが、陸軍では脚気で4,000名が死亡した。続く日露戦争では、海軍の脚気による死亡者はゼロ、それに対し陸軍の脚気死亡者数は27,800名であった。白飯のみの食事がいかに危険かは一目瞭然となった。これが、現在の海上自衛隊まで引き継がれる「海軍カレー」の発端となったのである。

 高木の功績は認められ、のちに男爵位が授けられた。鴎外は日清戰争後、台湾総督府の陸軍局軍医部長として台北に着任する。それは台湾駐留軍の脚気患者が激増していたことへの対応を命ぜられてのことであった。しかし鴎外は対処できず、わずか四ヶ月で帰国する。鴎外は、その後の日露戦争の結果を受けても海軍の麦飯効果を認めなかった。この影響か、高木よりも家柄は良くキャリア抜群であるにもかかわらず鴎外には爵位が与えられなかった。本書の解説(大河内昭爾氏)においても、『鴎外の有名な遺言「墓ハ森林太郎ノ外一字モホル可ラズ」は、叙爵の沙汰のないのにこだわったのだともいう。』とある。

 余談だが、私は昭和53(1978)に放送されたテレビドラマ『獅子のごとく』の感動を今も覚えている。江守徹主演、森鴎外の伝記ドラマである。そのクライマックス、鴎外の臨終のシーンで江守徹が振り絞るようにあの遺言を述べる。私は、「何の肩書きもいらぬ、ただの森林太郎として死にたい」といった意味と今まで捉えていたが、本書を読んで真意を知り、鴎外のイメージが変わってしまった。  

 さて、脚気撲滅に奔走していた高木は、一方で英国式の医学校の設立に尽力する。明治14年に設立された成医会講習所は、のちに昭憲皇太后の意向を受け東京慈恵医院医学校と改称し、さらに東京慈恵医科大学となる。そして翌明治15年、有志共立東京病院なる慈善病院を発足させる。この病院こそが、東京慈恵医院を経て東京慈恵会医科大学病院となるのである。また、英国留学で体現した看護婦教育の必要性を具現化した我が国初の看護婦教育所も設立した。

 神宮外苑「絵画館」に展示されている『東京慈恵医院行啓』満谷国四郎

東京慈恵医院開院を記念して入院中の少年を励まされる昭憲皇太后(中央)。手前で頭を下げているのが高木卿。

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 高木は脚気撲滅の功労者であるが、その原因のビタミンB1欠乏症を発見したわけではない。ビタミンB1は明治43年、盛岡農学校教授の鈴木梅太郎によって発見された。これによって高木の名声は後回しになったのではないか。百田尚樹著『日本国紀』の中盤(明治期)においても、「日本人は医学の世界でも素晴らしい業績をあげている。」としてペスト菌を発見した北里柴三郎、アドレナリンの結晶抽出に成功した高峰譲吉、そしてビタミンB1抽出に成功した鈴木梅太郎を挙げている。高木の名がどこにも登場しないのが個人的に残念である。

 X線を発見したのはレントゲンであり、日本ではX線検査をレントゲン検査と呼んでいるほどだが、X線を医療で活用したのは第一次大戦下でのキュリー夫人であることはあまり知られていないことと同様でしょう。

 欧米には高木の名声は轟き、複数の大学から学位が授与されたが、国内では相変わらず非難された。「農村部の食事こそが健康の照明」との発言に、危険分子であるとレッテルを張る者もいた。そして明治が終わり大正となる。高木の最大の理解者であった明治天皇の崩御は衝撃で、しばらく高木は放心状態にあった。そのようなある日、高木は宮崎県の穆佐(むかさ)村へ帰郷する。村は大騒ぎとなり、その際村長が「男爵様、村の者にご講話をお聞かせいただくわけには参らぬものでしょうか」と恐る恐る申し出た。高木は少し考えて村長の申し出を引き受ける。翌日、講話会が催される村の小学校は老若男女で溢れた。高木は英国留学の体験や海軍の脚気克服などを語った後、「雑穀、味噌、大いに結構。田舎の食物は決して粗食ではない」と力説した。村人は感嘆し、目を輝かせた。これが、六十代後半に差し掛かった高木に生きがいを見出させた。高木は七十歳を迎えるまで全国各地で年間200回前後の講話を行ったのである。大正九年(1920)四月十三日、高木兼寛逝去。享年七十二。

 南極大陸に「高木岬(Takaki Promontory)」がある。これは英国南極地名委員会が高木兼寛の功績を讃え1952年に命名した。当時の日本の極地研究所に伝えられたが、高木が誰か知る者はなく、英国人に高木兼寛の功績を知らされたそうである。。。。

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# by Patch_It_Up | 2019-05-13 21:14 | 本・映画・音楽

神話か史実か、NHK「皇室の祖先の天照大神」ミス認め釈明って?

 おっおー、ネットニュースで上記の見出しが目に入った。出所は毎日新聞。要は、先月18日に上皇上皇后両陛下が伊勢神宮を参拝された際、NHKが「皇室の祖先の『天照大神』をまつる伊勢神宮の内宮」と報じたことに「神話と史実を混同させる表現だ」として批判や疑問の声が視聴者から上がっていた、という問題にNHKがミスを認めたということ。

 私としては、「皇祖神である天照大神」と何の抵抗もなく発言してきたので「????」なのであるが、放送界では「皇室の祖先とされる天照大神」と表現しなければならないそうである。ん~、先般催した「古事記・絵物語」朗読スライドショーなどは、突っ込まれどころ満載である。今のところ再生数も少ないので無反応だが、突如批判の嵐にさらされるのであろうか。まあ私のような名もなき画家なんぞが攻撃されることはないか(笑)。

動画をご覧になってのご意見ご感想お聞かせください。

動画はこちら→棚倉樽の「古事記・絵物語」

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# by Patch_It_Up | 2019-05-11 00:55 | アートイベント『やまとごころ』